形式と内容

宗教の多くは「儀式」を行う。そしてそれは、単に合掌するとか、お経を唱えるとか、火を灯す、といったものではなく、多くは、非常に厳密な形式を持っている。

合掌のしかた、お経の唱え方、火の灯し方、祈りの作法などが複雑に組み合わされて儀式が行われる。

しかし一方で、たとえば日本のお葬式のように、なかば形式的になって心がこもっていない儀式も少なくない。

ではなぜ儀式がそれほどまでに形式にこだわっているのか?あるいはそれが故に形式的に陥ってしまって心が抜けてしまっていたりするのはなぜなのか?

多くの宗教は、型通りの動作を繰り返すことで、それが心に反映すると考えられている。実際その通りでもある。「修行」というのはまさにそうだ。型をもたない修行はない。そして型通りに修行するから心も練り鍛えられると考えられている。

大和山大神さまは次のようの教えている。

「形式は内容をもつことによりて貴きを知り、形式のためにその形式をなず愚かしさは避くべし。」

形式を軽視しているのではない。形式も大切だと教える。その一方でそれ以上に内容が大切だと教える。本当に心がこもった内容(祈り)ならば、形だけの儀式ではなく、真に神さまに心が通う儀式になるのだと教えている。